島左近(しま さこん)
- 石田三成の軍師として関ケ原にも参加した兵法の第一人者。
- 当時、「三成に過ぎたるものは佐和山の城と島左近」とまでうたわれた名参謀。
- …と言うのは仮の姿で、彼の本業は生粋の幼女マニア。
- ※注:ここで言う『幼女』とは、4〜10際までの女の子を指します(ソレ以外は左近の眼中にありません)。
- 近江四万石の大名だった石田三成は、そのうちの一万五千石の高禄を与え左近を召し仕えたのだが…
- その際の左近の態度
「一万五千石なんぞより、自分は幼女を欲します」。
- 趣味はもちろん城下町での『幼女ウォッチング』。
- ウォッチングの際、気に入った幼女がいた場合は家に持って帰っても良し(自分ルール)。
- 誘拐罪(未遂含む)で過去九十回以上も、公僕に捕まったことがある(社会ルール)。
- 左近の口癖・その1(自己紹介の際に)
「自分、兵法で有名な島左近ですが…そんなモノより、幼女が好きです」。
- 左近の口癖・その2(成人女性を見て)
「…何ですか、コレは?意味がわかりません」。
- 左近の口癖・その3(他人の家に招待されて)
「ん?おかしいですな…。自分の席の両脇には、あらかじめ幼女がセッティングしてあるはずなのですが…」。
- 兵法家としての才能は素晴らしいのだが、陣や作戦の名前の冒頭に必ず『幼女』の二文字がついている。
- 例 : 『幼女鶴翼(かくよく)の陣』(ちょうど鳥が翼を広げているように、左近を出発点として幼女達が並んだ陣。防御向け)。
『幼女車掛かりの陣』(左近自身を中心におき、一度当たった幼女を下げ、陣を回転させるように新手の幼女を次々と繰り出していく戦法)。
- ………これじゃあ、勝てる戦も負けるべさ。