島津義弘(しまづ よしひろ)
- 兄とは折り合いが悪く、朝鮮出兵時には置いて行かれ(レッツ手漕ぎボート!)、関が原では意見が聞き入れられなかった、戦国三大苦労人の一人。
- 人呼んで「鬼島津(おにしまづ)」
- 大友家にあだ名(お気に入り)を「きしまづ」と読まれて、最近ちょっとブルー入ってる。
- ↑多分大友さんちの「鬼道雪(きどうせつ)さん」のせいかと思われます(『こんな○○は××だ』立花道雪編参照)。
- 兄の義久と折り合いが悪くなった事の発端は、「信長の野望・蒼天録」の顔グラフィック。
- 義久「俺の顔って憂いと哀愁、そして知的さを兼ね備えたダンディーフェイスだけどさ、義弘は、三枚目役しかもらえなくて悔しさで下唇をかみ締めるけど、仕事の関係上無理矢理笑みを浮かべてる、織田裕二みたいな顔してるよな(標準語訳)」
- ↑の発言で兄に対して、かなりムッカ〜と来てた義弘クンでしたが、極めつけは↓のやり取り。
- 家久「俺達♪島津四兄弟♪ってさ、皆『久』の字がついてるよね。でも、なんで義弘兄ちゃんだけついてないの?」
- 歳久「あー、本当だー。ねぇ、義久兄ちゃん、なんでなんで?教えて!」
- 義久「あぁ、それは義弘が島津家にあるまじき醜悪な心をもっているから、神聖な『久』の字を付けて貰えなかったのだ」
- 歳久&家久「そっかぁ♪納得ぅ。さっすが義久兄ちゃん、あったま良い〜!」
- 義弘「いや、嘘教えないで!しかも納得しないで!って言うか『弘』の字だけフォントデカくするなよワザと!あからさまに嫌がらせだよ!」
- 朝鮮出兵の際やたら強かったので、朝鮮人には『シーマンズ』と呼ばれて恐れられた。
- 別に『態度も顔もガラも悪い某音声認識ゲームの某魚がいっぱいいる(複数形)』と言う意味ではない。
- 関が原では『夜襲しようと言ったが意見が用いられなかった』。
- 補足を入れるなら『夜襲しようと言ったが(薩摩弁が通じず意思疎通不可能な状態だったので)意見が用いられなかった』。
- こんなトラブルをなくす為にも、なまりは早いうちに治すのが吉ですね(笑顔)