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河越夜襲戦


関東管理職
上杉憲政

★河越夜襲戦序章★

憲政「まろは関東を管理する偉〜い立場だから、
   場所的にキングオブ関東の河越が欲しいのでおじゃる。
   北条よ、譲りたもれ」

氏康「えー、なにこの人ー?平安の生きた化石みたいな
   しゃべり方してるよ、チョダサー。
   生きてる時代間違ってんじゃ?帰って、帰って。
   今すぐ帰って。次元を越えて、あるべき場所に帰って」

憲政「良いではないか、ニセ江戸っ子。第一そこは盟友
   朝定殿の領地じゃ。まろに譲るか、朝定殿に還したもれ」

氏康「えー、かなり嫌ー。っていうか相当嫌ー。
   でも、あんたの顔が一番嫌ー。生理的にゆるせないしー」

憲政「そう言わずに、まろに譲るでおじゃる。おぬしのポジション内に
   売ってる茶菓子(東京ばな奈)が、まろは食べたいのじゃ」

氏康「マジしつこー。いい加減にしないと、氏康キレちゃうよ?
   ヴッチンてキレちゃうよ?マジこれ最終宣告ー。
   あと30秒以内に謝って」

憲政「だがしかし、まろはすでに朝定殿と
   『北条攻めようね♪』と指切りを…」

氏康「ブッブー。はい、時間切れー。アホ丸出しー。戦決定ー」

憲政「Σ( ̄□ ̄;まだ3秒しかたってないじゃん!!」

氏康「『闇に隠れて生きる、俺たちゃ妖怪人間なのさ!
    〜上杉関東管理職殲滅大作戦〜』決行ッ!頑張るぞー!」

憲政「ひいいいいいいい!!!(T_T)」


通称:相模の虎
北条氏康


今回の合戦のやられ役である上杉憲政、上杉朝定の両名の祖先は、
関東管理職を室町時代に任命された家柄である。

その両名には、最近気になることがあった。
それは、本当の関東管理職である自分達を無視し、関東の覇権を事実上奪
っている家、相模北条家の存在についてである。連中は増長し、自分達の
領土である関東地方に侵入しはじめている。その不満は、上杉朝定の居城
である河越城が北条氏康に奪われたことにより、爆発する。関東管理職と
して、この事態を引き起こす北条家を成敗せねば。そう考えた両上杉家は
駿河の今川義元と話をつけ、その上、伝統的な権威の古河公方である足利
晴氏を味方に引き込むことに成功する。

天文14年(1545)、上杉両管領家の要望に従い、今川の軍勢は北条
家の長窪城を囲んだ。これに呼応して上杉両管領家・古河公方連合軍は、
北条家の北進拠点である武蔵(剣豪ではなく地名である)の河越城を包囲
した。この報を聞き、日頃から北条家のやり方に不満を持っていた一部の
関東武士は(関東管理職と古河公方の威光もあったろうが)続々と両関東
管領家に味方し、連合軍は、何と8万の大軍に膨れ上がった。天下分け目
の関ヶ原、家康と戦った西軍が丁度このくらいだったといえば、これがど
のくらいの大軍であったかがよく分かるであろう。
これに対して北条軍は、北条綱成率いる河越城兵3千と、北条氏康の救援
軍8千、併せても1万1千の軍であった。つまり、両者は戦力において約
8倍の差を有したのである。

戦場になった河越城は、河川が入り組む低湿地に突き出た舌状台地にあり、
鎌倉街道を押さえるのに絶対必要な要衝地であった。河越城は、この天険
をうまく利用して作られた城であり、主郭部は、本丸の北に二の丸、西に
三の丸を配置し、周辺を外郭で囲むという構造になっていた。城の三方に
は川が流れ、土塁に至っては5メートルを超えた。しかし、いくら河越城
が天険に守られた城であっても8万に攻められればひとたまりもない。に
もかかわらず、攻城戦側は本格的な攻めを行わなかった。といっても、別
に臆病風に吹かれたわけではない。河越城を落としてしまうと、氏康を誘
き出せない。つまり、囮として取っておいたのである。

一方、氏康としては、今川軍に包囲されている長窪城と、河越城をともに
救い出すことは、まず不可能であった。そこで、一方的な譲渡により今川
軍と和を結び、河越城の救援に全力を傾けることが出来るようにした。

翌年4月、ようやく氏康は河越城の南(砂久保)に到着した。だが、正面
からぶつかることは避け、「城は渡すから、城兵の命を助けて欲しい」と
再三にわたって連合軍に嘆願した。この態度に連合軍は慢心したが、これ
は氏康の策略であった。4月20日、氏康と綱成は、連合軍の本隊に夜襲
を仕掛けた。あまりに突然の夜襲だったため、連合軍は浮き足立ち、8千
の氏康軍に散々蹂躙され、挙げ句の果てには壊乱してしまった。この夜襲
によって、連合軍は約3千の死傷者を出した。首謀者の上杉朝定、上杉憲
政の両名はというと、上杉朝定は逃げる途中で落馬して死亡し、上杉憲政
は上野国平井城に逃げ帰ることになる。そのあとさらに、平井城までも北
条家に奪われ北方に遁走、越後の長尾景虎(憲政はこの後、彼に上杉の名
跡と、関東管理職を譲渡することになる)を頼ることになる。

この戦いの勝利によって、氏康は、武蔵を制圧するとともに、北関東進出
の足がかりを掴んだのだった。

ちなみに、河越城を守りきった綱成は、黄絹に八幡と黒書きした旗を翻し
て、真っ先に敵陣を駆け抜けたので、「地黄八幡」と敵から非常に畏怖さ
れた。彼は戦闘が始まると、いきなり「勝った!勝った!」と叫びながら
敵に突撃したらしいが、この夜襲の時に、ばれなかったのであろうか。
自主的にマナーモードにしていたと考えるのが普通だろうが、実はこの時
綱成が叫んだ「勝った!勝った!」のかけ声で敵が混乱し(夜だし、辺り
が見にくいだろうし)勝利を収めたとしても、おかしくない気がする。
というか、こいつは夜戦に参戦したんだったっけ?

★河越夜襲戦オマケ★


キレやすい越後の龍
上杉謙信

謙信「おい、てめぇ北条!!ちょっと面貸せ!」

氏康「はぁー?氏康、今テレビ見てて忙しいんだよね、マジで。
   用があるなら、地面にめり込むくらい土下座でもしろっつーの。
   これだから脳の中まで筋肉男は…」

謙信「ぐッ……(まんざら嘘でもないので反論できない)」

氏康「大体、内政の一つもできないなんて、チョダサー。
   それで大名を気取るつもりー?ふざけんなってカンジ」

謙信「お、お前ズバリものを言いすぎ!!いま俺、相当ヘコんだぞ!?
   こんな気持ちは約3時間ぶりだ!!…そう…3時間前、
   俺は柿崎(謙信の家臣。体力バカ)の菓子をこっそり…」

氏康「…で、何しに来たの、長尾さん?」

謙信「え?あぁ、そうだ!柿崎の菓子を食べたのがバレて、
   不覚にも反射的に土下座した話をうっかり暴露しそうに
   なってしまった!ふうー危ない、危ない!
   おい、北条てめぇ!
   お前が倒した上杉憲政が、俺んとこに来やがったぞ!」

氏康「いいじゃん、人材が増えて」

謙信「役立たねぇよ、あんな平安口調野郎!」

氏康「しかも関東管理職、譲られちゃったんでしょ?」

謙信「いらねぇよ、面倒くせぇ!!」

氏康「ついでに上杉姓まで貰ったらしいじゃん。うらやましいなぁ」

謙信「いや、意味わかんねぇだろ!名字変わっても嬉しくなんかねぇし!」

氏康「ほら、九州の島津さん達に『越後の上杉さん、場所が上すぎじゃん?』
  とか言われてマジ流行るよ?流行語大賞決定じゃ?」

謙信「……それは、ちょっと良いな…。
   俺、一度受賞してみたかったんだよね、流行語大賞。
   …よし、憲政殿は俺が保護しよう!そして狙うぞ、流行語大賞を!!」


通称が信玄とダブっている
北条氏康

長尾さんの関東管理職就任について、
島津さんは多分何の感想も無かった事でしょう(遠い目)


モドル