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川中島の合戦


通称:越後の龍
上杉謙信

★川中島合戦序章★

謙信「俺、前々からお前の事、気に食わなかったんだよ。
   ちょーど良いからお前の事ぶっ潰してやるぜ」

信玄「…俺も、前々から君の事、気になってんだよね…」

謙信「(゚□゚)!?
   …え…今、なんて…き、気のせい?」

信玄「ちょーど良いから君の事、押し倒してあげるよ…」

謙信「え!?マジ!?本気と書いてマジで言ってんの!?
   キモッ!!やめろ!血迷うなオッサン!」

信玄「この俺の、溢れんばかりの愛を受けとめてくれ!!
   力いっぱい!君のそのたくましい腕で!!」

謙信「ま、マジ勘弁!って言うか失礼だな、オッサン!!
   むきー!越後の龍、マジギレ!合戦だぁぁぁ!」


通称:甲斐の虎
武田信玄


史上希にみる名将同士の戦いということで、やたらと有名なこの合戦だが、もと
もと、上杉謙信(この時点ではまだ違う名前)と武田信玄が戦うことになった原
因を作ったのは、謙信と信玄の勢力のあいだに挟まれていた、村上義清という大
名であった。この村上という男、戦は強かったのだが(実際、信玄を2回ほど追
い払っている)真田幸隆という信玄股肱の謀臣に内応のオンパレードをくらい、
北信濃から追い出されてしまったのだ。ほうほうの態で逃げ出した村上は、越後
の上杉謙信を頼り、旧領土の奪還を哀願した。病的な正義好きであり、前から信
玄のことが気に喰わなかった謙信は、この提案を快諾し、天文22年(1553)
9月、川中島で信玄と激突したのが、第一次川中島決戦である。結果的にこの戦
闘は謙信側が勝利し、北信濃の連中は旧領に戻ることが出来た。

当然、これを面白く思わない信玄は、弘治元年(1555)、弘治3年(1558)にも
川中島に進行、謙信と戦うが、第二次では、肥満公家こと今川義元の仲介で両軍
撤退をし、第三次に至っては、ほとんど睨み合っていただけで撤退することになって
しまう。ちなみに武田軍の将、馬場信房が、芋虫(信玄は芋虫大嫌いで、
姿を見ただけで真っ青になってたらしい)を使って、信玄を窮地に陥れたり
していたが、全く戦闘に関係ないので割愛することとする。

ともかく、永禄4年(1561)後世、川中島の戦いと一般的に言われるようになる
第四次川中島合戦は、このような前置きを経て始まったのである。

永禄4年、信玄は川中島に海津城を構築、謙信に「ここは俺の娑婆なんだから、
近づくなクソヤロウ」とあからさますぎるほどに喧嘩を吹っ掛けた。正義と戦い
の神(と本人は信じている)謙信は、この挑発に烈火のごとく怒り、今度こそ信
玄の首級をあげるべく、川中島への進行を決めた。というよりも謙信としては、
自国の横っ腹を突ける場所にあるこの城は、なんとしてでも潰さねばならなかっ
たのである。謙信が出馬したことを知った信玄は、約2万の軍勢で海津城に入っ
た。謙信はというと、同城から2キロ離れたところにある、妻女山に登り、陣を
しいた。かくして両軍が対峙するかたちとなった。この対陣で先に動いたのは、
信玄のほうであった。山本勘助(後年、ヤマカンという言葉の語源となったらし
い)という片目軍師が提案した啄木鳥戦法のためである。

啄木鳥戦法とは、部隊を二分し、一方は敵を背面から襲って燻りだす役を行い、
敵が打って出たところを本隊とともに挟み撃ちにする、という戦法である。
別働隊は、芋虫を使役し、信玄に精神的ダメージを与えること甚だしい馬場信房
に1万2千の軍勢を割いて任せた。暇になった信玄は、兵卒達に飯を食わせるべ
く火をおこした。それが信玄側にとっては誤算になってしまう。一方、謙信側で
は武田側から立ち昇る煙を見て、信玄が動く事を察し、妻女山をさっさと下山し、
信玄の本陣に向って進軍を開始する。よって、武田の別働隊が妻女山に到着した
時には、謙信の本陣はもぬけの殻であった。次の日の朝、川中島は濃霧に包まれ
ていた。それのせいで一切の視界がきかず、濃霧が晴れて信玄が気づいた時には
謙信の本隊は、信玄の本隊の前に布陣していた。謙信がとった布陣は車掛かりの
陣といい、一度当たった隊を下げ、陣を回転させるように新手を次々と繰り出し
ていく戦法である。これに対し信玄がとった陣は、鶴翼の陣であった。鶴翼の陣
とは、ちょうど鳥が翼を広げているように見える陣で、どちらかというと防御用
の陣であった。謙信隊が急に現れたため、対謙信用に考えていた陣を使用出来な
かったともいうのだが。謙信は1万3千の軍勢を全て信玄の本隊8千に突撃させ、
混乱する信玄隊に、これ以上ないほどの痛打を与えた。

信玄の弟である信繁は、「我が隊は全員討ち死に覚悟のため後詰めは不用。本
隊の壊乱を防ぐ事を最優先とせよ」と言い残し、突撃。奮戦のすえに討ち死にした。

啄木鳥の戦法を提案したヤマカンも、策を見破られた責を感じ、手勢2百を率いて
謙信隊に突撃をかけ全身に多数の傷を負い戦死した。

相次ぐ将の戦死の報に、敗色濃厚となった信玄隊であったが、妻女山に向ってい
た部隊が取って返し、謙信隊の背後を突いたため辛うじて壊乱を免れた。つまり
謀らずとも山本勘助が唱えた啄木鳥の戦法の形になったのである。

そこから先は数で勝り、両面から攻め立てる事ができる信玄側が主導権を握る事
になる。反対に損害が増えてきた謙信側は、信玄隊の中央に突撃をかけ、そのま
まブチ破ると一目散に撤退した。敵前撤退である。ちなみにこのとき、謙信は単騎
で信玄に突撃し、信玄を何度か斬りつけたらしい。信玄が謙信の刀を軍配で受け
とめる、あの有名なシーンである。

結局どちらが勝ったかというと、実に判断が難しいのがこの戦いである。かの織
田信長曰く、前半は謙信の勝ちで、後半は信玄の勝ち…ということになるらしい。
結果的に信玄が川中島を手にしたが、戦略という点では謙信に劣っていた事を認
めざるをえないだろう。名将同士の戦いにしては、非常に微妙な戦いであったといえる。


★川中島合戦オマケ★


通称:ほっかむり野郎
上杉謙信

謙信「結局、兵は減るし、土地は取れねぇし…散々だったぜ…。
   でも、武田のオッサンも相当へコんでるだろうし
   あのオッサンの苦しむ顔を見れるだけで、
   この戦いの意味はあったと言えるかもな。
   へーん、ザマー見ろ!」

信玄「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…」

謙信「ゲッ!?」

信玄「マイ★スウィートハニー謙信ちゃんの剣を受けちゃった…。
   でへへへへへへへへへぐえっへへへへ…」

謙信「うわっ、むせながら笑ってるよ…キモォ…!
   って言うかアンタ、軍師と弟、殺されたんだろ!?
   もうちょっと悲しむとか、悲しむとか、悲しむとかしろよ!」

信玄「むしろ、あの一刀で切られたのは、俺の心だ!!!!!
   どきゅーん、ずきゅーん、胸打ったゾ!!」

謙信「うわッ、顔近づけんな!暑苦しい!窓ガラスが湿る!
   やっぱり俺、このオッサン、大ッ嫌い!!!!!」


通称:画面に顔、近づけすぎ
武田信玄


結局、信玄と謙信は一生和解することはありませんでした。何ででしょうね(棒読み)。


モドル