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山崎の戦い


天下人
羽柴秀吉

★山崎の戦い序章★

秀吉「いやー、もう少しでこの城落ちるなァ♪
   実は『高松城落としたらご褒美にマシュマロあげる』って信長様に
   言われたんだよね☆楽しみ楽しみ(*^▽^*)」

官兵衛「サルッ…じゃなかった、殿ッ!一大事でございますッ!」

秀吉「しかも、マシュマロの中にはチョコが入っててさ…vv」

官兵衛「殿!妄想してないで聞いてください!信長様が殺されました!」

秀吉「はぁ?何言ってんのクロカン?信長様が殺されるわけ無いジャン。
   あの人の持ち味は、首をもがれても、肝臓えぐり出されても、
   ロケット花火にくくり付けられて空に発射、その後バラバラに
   破裂したとしても、生きて帰ってくるトコだよ?」

官兵衛「キモいよそれ!あんたの中の信長はプラナリアかよ!?」
 ※注:プラナリア
   三岐腸目のプラナリア科(淡水生三岐腸亜目)に属する扁形動物の総称。
   体は扁平で、口は腹面中央にある。体長20〜30ミリメートル。
   切られても切られても再生してくる、不思議な生物☆
                          三省堂「大辞林 第二版」より引用

秀吉「…え〜っと。で、何の話だっけ?」

官兵衛「だーかーらー!詳細は分かりませんが!明智光秀に裏切られ!
    本能寺にて!信長様が!自害されたそうですッ!(怒)」

秀吉「ウッソー!?マジで!?早く言ってよ!そういう大事なことは!!」

官兵衛「言ったよ最初に!聞こうよ話!このアンポンタン!」

秀吉「おろろ〜ん、信長様ぁぁ〜!(TдT)
   秀吉撃沈!脳内摩擦(意味不明)!チックショウ、復讐だ!」

官兵衛「…大丈夫かいな、こんなんで……」


秀吉の名参謀
黒田官兵衛


今回戦いは、世に有名な本能寺の変の復讐戦という立場で知られている。『山
崎の戦い』と言われて良く分からない人でも、『秀吉の中国大返し』と聞けば何
となくピンと来るかもしれない。

秀吉が君主信長の訃報を聞いたのは、毛利方の備中高松城を攻めている時で
あった。時に天正十年(1582)六月三日の夜。要するに信長が明智秀の謀反によ
り自害してから二日後のことである。

この知らせに秀吉は、わお〜んわお〜んと号泣しながらも毛利領へ通じる一切の
交通路を塞ぎ、その日のうちに「高松城主の清水宗治さんが切腹すればオレ達撤
退してあげるよ」という講和条約を出した。水攻めに相当まいっていた毛利輝元は
「願っても無いチャンスだ、神様サンキュ!」とこれを了承。翌日早朝、宗治は敵前
に船を漕ぎ出して切腹し、両者は誓詞を交換して即日和睦が成立した。なんという
スピーディーな展開なのだろうか。もちろんこのスピーディーな展開は、毛利方の耳
に『信長死亡』の知らせを入れさせない為である。実際、輝元が信長の横死を知っ
たのは、この和睦が成立した直後だったと言われている。輝元は、まんまと貧乏ク
ジを引かされてしまったのだ。その後秀吉は、ただちに強行軍で姫路城に入り、二
日間兵を休ませただけですぐさま京都をめざした。これがいわゆる『秀吉の中国大
返し』である。ちなみにこの作戦は秀吉の名参謀、黒田官兵衛の案。
やるなぁ、クロカン!!

一方の光秀といえば、信長を倒したものの、最も頼みとしていた細川藤孝&忠興父
子、筒井順慶にそむかれ、結局、自分だけの力で秀吉を迎撃しなければならなくな
ってしまった。ツライ現実である。

六月十二日、光秀は勝城寺城に拠点を置き、秀吉は天王山を占拠した。合戦の火
蓋が切られたのは翌十三日の午前四時頃。光秀軍一万余、秀吉軍三万余の兵が、
一気に戦闘を開始した。

秀吉には君主信長の仇討ちと言う『錦の御旗』があり、しかも軍勢が光秀の三倍で
ある。必然的に兵の士気はばんばん上がり、戦いの序盤から秀吉軍が優勢となっ
ていた。そこでまず、秀吉軍の先鋒である高山右近&中川清秀軍が戦いをしかけ、
その後左翼・羽柴秀長、右翼・池田恒興の軍が進撃、光秀の軍は秀吉軍にすっぽ
りと包囲されてしまった。結局戦闘は二、三時間であっけなく終結。戦いに敗れた光
秀は、いったん山崎の北東にある勝城寺城に入り「闇夜に紛れて坂本城へ脱出しよ
う」とくわだてた。この光秀の提案は、坂本で婿の秀満とはかり再起の軍勢を起こす
為だったと言われている。しかし光秀の性格から、居城の坂本で華々しく切り死にし
たかった、という事も考えられるだろう。

光秀は途中間道を通り、久我縄手(『こがなわて』とよむ)を逃げて伏見方向へと向
った。しかし途中、小栗栖の竹やぶで落ち武者狩りをしている地元の百姓に遭遇、
竹やりで『ていやー!』と腹を突き刺され負傷。その後、仕方なく側近の解釈で果てた。

光秀が信長を本能寺で討ってから、わずか十一日目の事であった。

この出来事が『三日天下』の語源となっているが、上記のように正しくは『十一日
天下』である。まぁ、これだとそのまま過ぎるからね…。

ちなみに、光秀の首は土中に隠されたが、農民がそれを掘り起こし、秀吉軍に引き渡
した。その後光秀の首は、秀吉の命令で本能寺の焼け跡にさらされたと言われている。

光秀享年五十四歳。つくづく運の悪い人生であった。…合掌。

★山崎の戦いオマケ★


おさがり天下人
羽柴秀吉

秀吉「……はぁ…」

官兵衛「どうしたんですか?禿げねずみ…じゃなくて殿」

秀吉「…あぁクロカンか。俺、ツライよ…」

官兵衛「殿…。君主を殺され同僚と戦い、ツライのはわかります。ですが!」

秀吉「…ご褒美のマシュマロ…食べれなくなっちゃった…」

官兵衛「マ、マシュマロ!?信長様よりマシュマロ!?」

秀吉「憧れのチョコ入り…」

官兵衛「買えよ自分で!そのくらい!そんな事にウジウジしてないで
    これから先を見てください!レッツポジティブシンキングッ!!」

秀吉「これから先を…?
   ……なんで…なんで死んじゃったんだよ、半兵衛ェェ〜!(TдT)」

官兵衛「今度は思い出し泣きかよ!?思いっきり後ろ向き!
    っていうか元彼の事を語るオナゴのような顔はやめて!キモい!
    マジで大丈夫かいな!?こんなんでッ!?」


いまだに半兵衛代打の
立場から昇進できない

黒田官兵衛


結論:結構大丈夫でした(あっさり)。


モドル